大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 平成2年(ワ)1370号 判決 2000年4月21日

原告

甲野太郎

右法定代理人親権者

甲野一郎

甲野花子

原告

甲野一郎

甲野花子

原告三名訴訟代理人弁護士

仲松正人

加藤美代

森山文昭

渥美雅康

松本篤周

原告三名訴訟復代理人弁護士

伊藤勤也

被告

東海旅客鉄道株式会社

右代表者代表取締役

葛西敬之

右訴訟代理人弁護士

後藤昭樹

水口敞

中村伸子

山口敬二

右訴訟復代理人弁護士

中村勝己

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告甲野太郎に対し、三億〇六一四万四三一一円及びこれに対する平成元年五月一一日から支払済みにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野一郎、同甲野花子に対し、それぞれ一〇八四万五〇〇〇円及び右各金員に対する平成元年五月一一日から支払済みにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  仮執行宣言

第二  事実関係<省略>

第三  当裁判所の判断

一  被告が被告病院を経営していること、原告花子が、夫である原告一郎との間の第一子である原告太郎を妊娠し、昭和六三年五月六日被告病院において最初の診察を受け、以後被告病院で出産するため継続して診察を受けたこと、出産予定日は平成元年五月四日であり、原告花子にとって初産となること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  まず、原告花子の妊娠から原告太郎出生までの経過及び出生直後の原告太郎の症状等について検討すると、甲第三号証、第四号証の一、二、第五号証、第九号証、第一三号証、第一五号証の一部、第一六、第一七号証、第三〇号証、第三四ないし第三七号証、乙第一、第二号証の各一、二、第三号証、第一六号証(甲第四号証の二と同じ)、証人寺尾俊彦、同森下秀子、同石井睦夫の各証言、原告甲野花子本人尋問の結果の一部並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、甲第一五号証、原告甲野花子本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、採用し難く、他にこの認定を覆すに足りる証拠はない。

1(一)  原告花子(昭和三七年九月二〇日生)は、身長一五一センチメートル、通常時の体重四四キログラムであり、切迫流産のため昭和六三年九月一三日から同月二三日まで及び同年一〇月一一日から同月一六日までそれぞれ被告病院に入院したことがあったが、いずれも軽快して退院し、その後胎児の発育は順調であり、妊娠中毒症等の合併症や偶発症もなく、他にも格別問題がない状態で経過し、平成元年四月二〇日実施の骨盤レントゲン撮影検査の結果によっても、児頭骨盤不適合(頭位分娩において、児頭と骨盤との間に不均衡があって、児頭が骨盤に嵌入せず、分娩が進行しない状態)は認められず、同月五日、同月二〇日及び同年五月一〇日におけるエストリオール値も正常値であり、同年五月におけるhPL(ヒト胎盤性ラクトーゲン)も正常であって胎盤機能検査値は正常であった。

(二)  原告花子について、ほかにも妊娠中の胎児仮死(「胎児仮死」の定義等については後述する。)を疑わせる所見は認められなかったが、入山医師は、念のため、同年五月一日、帝王切開の術前検査を実施し、診療録にも「念の為術前検査」と記載した。

2(一)  原告花子は、出産予定日から五日経過後の同月一〇日朝から断続的に陣痛を覚え、被告病院で外来診療を受け、一旦帰宅した後、同日午後六時一〇分に一〇分間隔の陣痛(分娩の開始)が始まったため、同日午後九時被告病院に入院し、同月一一日午前一時一〇分頃被告病院の分娩室に移った。原告花子の入院時から分娩室入室までは山本助産婦が担当し、分娩室入室後は佐橋助産婦が分娩監視及び分娩介助を担当することとなった。

(二)  入山医師は、勤務終了後で帰宅中であったが、被告病院産科では、医師の不在時に妊婦の異常等が生じたときは、直ちに医師に連絡し、医師の立会を求めることとし、入山医師の場合、来院要請から二〇分程度で分娩室に到着できる体制になっていた。

3(一)  山本助産婦は、同月一〇日午後一一時三〇分から約三〇分間原告花子について分娩監視装置を装着したが、この間に胎児徐脈その他異常所見は認められなかった。同月一一日午前一時一五分(同日午前の時刻について、以下単に「午前何時何分」と表示する。)に胎児の下降度が陰門から胎児の先端部までの距離が5.5センチメートルとなり、子宮の開大度は、午前三時から四時までの間に急に高まり、午前五時三〇分には全開大となった(この事実によれば、骨盤嵌入の異常もなかったものと判断できる。)。

(二)  佐橋助産婦は、午前二時二〇分再度原告花子について分娩監視装置を装着し、以後原告太郎の出生まで継続した。分娩監視装置のグラフによれば、午前四時一三分においては、一分間欠の陣痛発作中陣痛発作に若干遅延して軽度の胎児徐脈が認められ、午前四時二七分頃から午前五時二二分頃までの間にも陣痛発作に連動して徐脈の発生が認められたが、速やかな回復がみられた。しかし、午前五時二二分頃からは、徐脈の回数が陣痛発作のピークより遷延するようになり、午前五時三四分頃以降このような徐脈が引き続いて認められた。その後、胎児心拍は、正常とされる毎分一二〇回まで回復したことはなかったと判断され、午前五時四五分頃までは陣痛発作時で毎分一〇〇ないし一一〇回、陣痛間欠時で毎分約九〇回、午前五時四五分頃以降は陣痛発作時で毎分九〇回、陣痛間欠時で毎分約七〇回であった。

(三)  この間、佐橋助産婦は、胎児の徐脈を認めて、何度か原告花子に対し体位変換の措置を採ったほか、午前四時二五分頃に毎分五リットルの酸素投与を始め、午前五時一五分頃には毎分八リットルに増量し、その後さらに胎児の徐脈回復の不良を認めて、午前五時三五分頃には酸素投与量を毎分一〇リットルに増量するとともに、午前五時四〇分頃入山医師に連絡した。

4(一)  入山医師は午前六時頃分娩室に到着し、直ちに吸引分娩を行い、午前六時一〇分頃原告太郎が出生したが、原告太郎のアプガールスコアは、一分後一点、五分後二点であり、新生児仮死の状態であった。入山医師は、直ちに人工呼吸等の蘇生術や気管洗浄等の措置を採り、さらに、当日被告病院の当直医(小児科医)であった森下医師の応援を求めて、午前六時一四分頃から同医師とともに原告太郎に対し蘇生術を続け、午前七時頃原告太郎に下肢刺激による自動運動が認められるようになり、午前七時四五分原告太郎を名古屋第二赤十字病院(以下「日赤病院」という。)の新生児集中治療部に転院させるため搬送の措置を採った。この間、名古屋市大病院を介して連絡を受けた日赤病院の石井医師が、午前七時二五分頃に被告病院に到着し、原告太郎の診療に当たった。

(二)  なお、分娩後の所見として、原告花子について臍帯の辺縁付着(臍帯が正常な胎盤の位置ではなく、辺縁に付着していること)と胎盤凝血(部分的胎盤早期剥離の可能性を示している。)が認められた。

(三)  原告太郎は、午前八時一五分頃日赤病院に入院し、「新生児仮死、胎便吸引症候群、低酸素性虚血性脳症、新生児痙攣、一過性心筋虚血」と診断され、同年六月一二日まで入院して治療を受けた。頭部のコンピューター断層撮影法による検査の結果、低酸素性虚血脳症の不可逆的変化の所見が認められた。原告太郎は、その後ミオクロニー発作等が出現したため、同年一〇月一九日に再入院し、「てんかん(ウエスト症候群)、脳性麻痺、精神運動発達遅延」と診断され、現在も脳性麻痺による体幹機能障害等の後遺障害を留め、身体障害一級の認定を受けている。

三  次に、原告太郎の新生児仮死の原因について検討する。

右二の事実と甲第六号証、第八、第九号証、第一九号証、第二一号証、第二四号証、鑑定人寺尾俊彦、同荻田幸雄の各鑑定結果によれば、次の事実が認められる。

1(一)  新生児仮死に先立つ胎児仮死には、妊娠中の胎児仮死と分娩中の胎児仮死が考えられる。

(二)(1)  妊娠中の胎児仮死は通常胎盤機能不全を原因とし、胎盤機能不全は妊娠中毒症、糖尿病、自己免疫疾患合併妊娠、過期妊娠等に合併して生じるのが一般的であり、この場合妊娠中胎盤機能検査値の異常がみられ、胎盤は小さく、また、出生した児の体重が標準体重より小さい等の特徴があり、NST(ノンストレステスト)、超音波断層検査、臍帯、胎児血管血流波型、臍帯血採取等の情報により、かなりの程度まで診断が可能である。

(2) 他方、分娩中の胎児仮死の診断は、現在においても分娩監視装置装着による情報が主要な手段であり、分娩監視装置から判明する胎児の心拍数から胎児の異常を判断するための指標として、(1)胎児心拍基線が毎分一〇〇拍以下の高度持続性徐脈が発生すること、(2)遅発一過性徐脈が一五分以上連続して出現すること、(3)毎分六〇拍以下まで下降し、又は六〇秒以上持続する高度変動一過性徐脈が頻発すること、又は(4)遷延性徐脈が持続することが挙げられている。

胎児徐脈は、通常陣痛発作と密接な関係を有し、陣痛発作によるストレスを原因として発生することが最も多い。すなわち、陣痛発作(子宮収縮)による臍帯の圧迫が、胎児血圧を上昇させ、圧受容体器を介して反射的に心拍低下を来すものであり、心拍数減少の波型や陣痛波との関係も一定ではなく、陣痛の間欠期に入ると回復する徐脈(変動一過性徐脈)であって、胎児の低酸素症等の異常を示すものではない。

他方、徐脈の開始が子宮収縮の開始より遅れ、徐脈の最下点も子宮収縮のピークより遅れ、徐脈の完全な回復も子宮収縮の終了よりかなり遅れるもの(遅発一過性徐脈)は、胎盤機能不全、子宮血流低下、過強陣痛などによる子宮胎盤系でのガス交換能が低下し、胎児への酸素供給が障害されて、胎児が一過性の低酸素症となった結果出現すると考えられ、胎児の低酸素の徴候となる。このほか、持続の長い高度変動一過性徐脈あるいは一過性徐脈に引き続いて起こる徐脈を遷延性徐脈という。

(三)  胎児は、本来分娩時の陣痛から受ける間欠的なストレスに巧みに適応する機序を有しており、分娩が始まると、陣痛(子宮収縮)により子宮筋の間を通る血管が圧迫されて子宮胎盤血流量が減少し、子宮胎盤から臍帯を通じて動脈血により胎児に供給される酸素量も減少するが、胎児は、交感神経による選択的な血管収縮を生じさせ、限られた酸素を有効に利用しようとする機能を働かせ、比較的重要度の低い肺、腎、消化器、四肢の血管は収縮させて血流量は低下させる一方、脳、心臓、副腎などの生命維持に直接関与する器官への血流量を増加させる防御機能を備えている(胎児仮死になると、胎動、呼吸運動の減少が起こるが、これも酸素消費量の節約に役立つ。)。胎児には、右のような胎児予備能があるため、右(二)で述べた低酸素状態を示唆する胎児心拍の異常が認められた場合でも、六〇分以内に娩出されれば、一般に重篤な新生児仮死に至ることはない。

(四)  なお、「胎児仮死」とは、「胎児・胎盤系の呼吸・循環不全を主徴とする症候群」と定義されるが(日本産科婦人科学会産科婦人科用語問題委員会)、概念自体に曖昧な点があり、また、いかなる症状・程度をもって「仮死」と認定するかについても明確な基準を欠く等の問題点がある。しかし、後述するとおり急速遂娩を決定すべき時期等医師や助産婦の業務上の注義業務の基準等について議論する場合には、「胎児仮死」なる用語を、米国でいう「fetal distress」、すなわち「胎児に持続的な低酸素状態が生じていることが確認され、それが改善されなければ、胎児が脳障害を起こすか又は胎児死亡を起こす可能性がある状態」をいうものとして使用するのが適当である(それより前の段階の胎児・胎盤系の呼吸・循環不全については、米国では「fetal stress」と表現される。鑑定人荻田幸雄においては、「fetal distress」に該当する場合には「重症の胎児仮死」なる用語を、「fetal stress」に該当する場合には「軽症の胎児仮死」なる用語をそれぞれ使用して、これを区別する試みをしている。)。

2(一)  原告花子には、妊娠中毒症等の合併症や偶発症もなく、胎盤機能検査値にも異常がみられず、出生時(妊娠四〇週六日)の原告太郎の体重は三五〇〇グラム、分娩後の娩出胎盤は四九二グラムであって、いずれも正常であった。また、分娩所要時間は、第一期(陣痛開始から子宮口全開大まで)が一一時間三〇分(初産婦の場合通常一〇ないし一二時間)、第二期と合わせて一二時間一〇分であって、正常の範囲内であり、分娩が遷延していたわけではない。本件分娩は、四〇週六日の分娩であり、予定日超過産ではあるが、胎盤機能不全による胎児仮死や難産の増加等のために厳重管理を必要とする妊娠満四二週以降の分娩である「過期産」にも該当しない。そのほか、原告太郎の胎児徐脈が、分娩がかなり進行してから発生していることに照らして、原告太郎について妊娠中の胎児仮死はなかったということができる。

(二)  原告太郎の午前四時一三分における胎児徐脈は、軽度変動一過性徐脈と考えられ(前示のとおり、陣痛発作に若干遅延して発生した軽度の胎児徐脈であるが、後記のとおり、その後の午前四時二七分頃から午前五時二二分頃までの徐脈が、軽度変動一過性徐脈と判断されることから、この徐脈について、遅発性徐脈ということはできない。なお、鑑定人荻田幸雄は、鑑定補充書において、原告花子に関する分娩監視記録の判読結果につき客観性を確保するため、この分野の専門的研究に従事する医師に対し、予備知識を全く与えないで、当該分娩監視記録に関する意見を求める方法で確認しており、専門家の所見に基づく複数の客観的意見であると述べている。)、胎児の低酸素症を示すものではない。午前四時二七分頃から午前五時二二分頃までの徐脈は、陣痛発作に連動して発生が認められ、徐脈の開始及び最下点は、陣痛発作のピークに比べ明らかに遅延が認められるが、回復が速やかであることから、この徐脈も軽度変動一過性徐脈と考えられる。ところが、午前五時二二分頃から徐脈の回復が陣痛発作のピークより遅延が認められるようになり、午前五時三四分頃から午前六時〇三分頃まで引き続いて遷延性徐脈が認められるようになったため、午前五時二二分頃から五時三四分頃までの徐脈は、臍帯圧迫による反射的な心拍低下による軽度変動一過性徐脈に加え、胎児が一過性の低酸素症となった結果出現する遅発一過性徐脈も加わってきたものと考えられる。そして、午前五時三四分頃から午前六時〇三分頃までは、胎児心拍で正常とされる毎分一二〇回の脈拍数までの回復はなく、遷延性徐脈が三〇分にわたって継続し、胎児が母体内の悪化した環境に晒されていたことを示しており、午前五時三四分以降は分娩中の胎児仮死状態になり、それより前の午前五時二二分から鑑定人荻田幸雄の用語による軽症の胎児仮死状態になったものと判断できる(なお、臨床上、胎児仮死の診断が可能となるのは、午前五時三四分以降発生した遷延性徐脈について、回復がみられないと判断できる午前五時四〇分頃である。したがって、その時点で急速遂娩を決定すべき所見が認められたということができる。)。

(三)  原告太郎の胎児徐脈の原因は、分娩後の所見により、臍帯が正常な胎盤の位置ではなく、辺縁に付着していたため、陣痛により臍帯が胎児の体部と産道の間で圧迫され易く、胎盤から臍帯を通じての酸素供給が十分なされなかったことにあり、変動一過性徐脈の程度が高くなって、遅発一過性徐脈が加わったものと考えられる。ところで、午前五時二二分に原告太郎の一過性の低酸素症を示す胎児徐脈がみられてから午前六時一〇分に娩出されるまでの時間は四八分であり、胎児が分娩中の低酸素症に対して耐性(予備能)を有する約六〇分の範囲内にあったが、それにもかかわらず、原告太郎が重篤な新生児仮死に陥ったのは、臍帯の辺縁付着が、胎児予備能を消費させ、これを低下させる要素として関与したこと、妊娠四〇週を過ぎていたため、胎盤機能が病的というまでには至らないとしても機能低下を生じていたことが考えられる。しかし、いずれも、事後的事情により回顧的に判断できるものであって、分娩開始以前あるいは分娩中に診断若しくは判断できる事情ではない。

3  以上のとおり、原告太郎の新生児仮死の原因は、分娩中臍帯因子による血流障害のため低酸素症に陥って胎児仮死の状態になったことにあり、また、臍帯の辺縁付着等に起因する胎児予備能の低下のため、重篤症状を呈するに至ったものということができる。

四  そこで、佐橋助産婦、入山医師の過失について検討する。

1  右二、三の各事実と鑑定人寺尾俊彦及び同荻田幸雄の各鑑定の結果によれば、(一)原告花子には、妊娠中毒症その他胎盤機能不全を疑うべき所見は認められず、分娩前に帝王切開を予定すべき症例とはいえず、また、分娩第一期のかなり進行した段階において遅発性徐脈が生じており、分娩初期の段階において、帝王切開を考えるべき症例でもなかったこと(潜在胎児仮死の場合は、初期の軽い陣痛によって遅発性徐脈が発生する。)、(二)軽度変動一過性徐脈は、臍帯圧迫により反射的に心拍低下を来すものであって、一般に心配のない徐脈であること、(三)胎児心拍改善のためには、母体の体位変換や酸素投与などにより血液改善を図ったり、子宮収縮剤投与中であれば、子宮収縮負荷軽減のために投与中止などの処置を採ること、(四)右(三)の措置を採っても胎児心拍の改善がみられず、それが改善されなければ胎児が脳障害を起こすか又は胎児死亡を起こす可能性がある状態(すなわち胎児仮死。鑑定人荻田幸雄の用語によれば「重症胎児仮死」)が確認された場合には、早期に児娩出を図るため急速遂娩の措置を採り、分娩第一期では緊急帝王切開、第二期では吸引分娩又は鉗子分娩を選択することになるが、右の確認に至らない場合には、軽度遅発一過性徐脈の散発、軽度徐脈の持続等がみられた場合でも、状態を観察して、胎児心拍の回復があれば、自然分娩を選択することになること、(五)原告太郎について胎児仮死を示す徐脈が確認できるのは、午前五時四〇分頃であり、その時点で急速遂娩を決定すべきであって、それまでの間状態の観察を継続しても相当性を欠く措置とはいえないこと、(六)午前五時四〇分の時点では子宮口は全開大となっていたから、急速遂娩の方法として、吸引分娩又は鉗子分娩を選択すべきこと、(七)また、仮に午前五時の時点で考えても、子宮口が全開大に近い状態になっているから、吸引分娩又は鉗子分娩を選択すべきこととなり、また、この時点で子宮収縮抑制剤を投与して分娩を一時止めるという措置を採ることは一般的ではなく、そもそも、子宮収縮抑制剤の投与は、胎盤機能不全等を原因とする潜在胎児仮死の場合に採られる措置であって、原告太郎のような急性胎児仮死の場合に採るべき措置とはいえないこと(鑑定人でもある証人寺尾俊彦においても、右のとおり述べている。)、以上の事実が認められ、甲第一五号証、原告甲野花子本人尋問の結果中右認定に反する趣旨の部分は採用し難く、甲第六号証、第八、第九号証、第二一号証、第三八ないし第四〇号証の各記載は、鑑定人寺尾俊彦及び同荻田幸雄の各鑑定結果に照らして、未だ右の認定・判断を覆すに足りず、他の右の認定・判断を覆すに足りる証拠はない。

2  そこで、さらに検討する。

(一)  原告らは、請求原因3(四)のとおり述べて、佐橋助産婦において、原告花子の帝王切開術前検査が記載された診療録も全く見ないまま分娩に立ち会い、かつ、入山医師に対する連絡を遅滞した過失がある旨主張する。

しかし、鑑定人寺尾俊彦、同荻田幸雄の各鑑定結果を総合すると、仮に医師が立ち会っていたとしても、胎児仮死を示す徐脈の発生が確認されるまでは、状態の観察を続けることになる上、原告太郎について胎児仮死が確認されて、急速遂娩を決定すべき時期である午前五時四〇分には、子宮口は全開大となっていたから、吸引分娩又は鉗子分娩を選択すべきこととなり、薬物療法により陣痛を抑えたり、帝王切開に切り替えるべき症例ではなかったこと、午前五時四〇分に佐橋助産婦が入山医師に連絡し、入山医師が午前六時頃分娩室に到着し、午前六時三分から吸引分娩を開始したことは、産科一般臨床の立場から妥当な経過と考えられ、鑑定人荻田幸雄のいう「軽症胎児仮死」から四八分後に娩出されたのに、原告太郎が重篤な新生児仮死に陥ったのは、分娩開始以前あるいは分娩中に診断若しくは判断できない臍帯の辺縁付着等による胎児予備能の低下にあったことが認められ、右認定事実に照らして、採用することができない。

(二)  次に、原告らは、請求原因3(五)のとおり述べて、入山医師においては、夜勤の看護婦らに対し、原告花子の分娩がその進行経過によっては帝王切開になる可能性が高いことを口頭で注意したり、診療録上特記事項として注意を促すような形で記載することを怠った過失があり、また、胎児が重篤な障害を負って生まれてくることが強く疑われる場合の小児科医との連携を怠ったため、出生後の小児科医による治療が遅れ、原告太郎の症状に少なからぬ影響を与えた旨主張する。

しかし、原告花子について分娩の進行経過によっては帝王切開になる可能性が高いと考えるべき状況のなかったことは、前示のとおりである上、原告太郎が重度の新生児仮死の状態で出生することを事前に予見できたというべき事情も見当たらない。また、入山医師は、原告太郎の出生後直ちに当日被告病院の当直医(小児科医)であった森下医師の応援を求め午前六時一四分から同医師とともに原告太郎に対し蘇生術を続け、午前七時四五分原告太郎を日赤病院に転送する措置を採ったことは、前示のとおりであるから、入山医師が、小児科医との連携を怠り、原告太郎の症状に少なからぬ影響を与えたということもできず、したがって、原告らの右主張も採用することができない。

(三)  さらに、原告らは、請求原因5(二)のとおり述べて、被告病院が、人的及び物的に充分の監視・管理体制をもって万全の措置をとるべき契約上の義務があるのに、入山医師の帰宅を漫然と許し、入山医師に代わる医師を配置することもせず、助産婦や看護婦に対して、妊婦・胎児に何か異常が生じた場合には直ちに医師に連絡するよう、また、職員に対し、十分な引継ぎをするよう周知徹底を図ることもしなかった過失がある旨主張する。

しかし、我が国では助産院における分娩が認められているのであって、分娩に必ず医師が立ち会うべき体制を採る義務があるとはいえず(なお、鑑定人荻田幸雄の鑑定結果によれば、助産婦には分娩監視記録を判断する権限もあるものと認められる。)、前示のとおり、被告病院においては、医師が不在の時も、助産婦が妊婦の異常を発見したときは直ちにこれを医師に連絡し、医師の立会を求める体制となっており、入山医師は、被告病院からの来院要請に対し、二〇分程度で被告病院分娩室に到着できるよう備えていたのであり、また、原告花子について分娩の進行経過によっては帝王切開になる可能性が高いと考えるべき状況はなく、原告太郎が重度の新生児仮死の状態で出生することを事前に予見できたというべき事情もなかったことは、前示のとおりであるから、被告病院の監視・管理体制に落ち度があったとか、本件において、医師との連絡及び引き継ぎ等に関する事項について、助産婦、看護婦ら職員に対する周知徹底を欠いた過失があるということはできない。

五  そして、既に記述した諸事情に照らせば、佐橋助産婦や入山医師が、被告の履行補助者として行った原告花子に対する医療上の給付や、被告病院の監視・管理体制をもって、診療契約上の債務の不完全履行に当たるということもできない。

第四  結論

以上によれば、他の争点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六五条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・髙橋勝男、裁判官・中園浩一郎 裁判官・高谷英司は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官・髙橋勝男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例